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カルタゴ
の成功の要因は、海賊や他国が恐れる強力な海軍力にあった。
カルタゴ
の進出と覇権の拡大は、地中海中央部で確固たる勢力をもつギリシアとの対立を増大させた。
カルタゴ
の玄関口にあたるシチリア島が、戦争の舞台となった。ギリシアやフェニキアは、以前よりこの大きな島の重要性を認識しており、海岸線に沿って多くの植民都市や交易拠点を造っていた。
これらの植民者の間で何世紀にも渡って、小競り合いが続いてきたが、紀元前480年、
カルタゴ
が大規模な軍事行動を開始した。
事の発端は、ギリシアに支援されたシラクサの僭主ゲロンが、島を統一しようとしたことに始まる。この明白な脅威に対して、
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はアケメネス朝と連携をとりながら、ギリシアとの戦争に踏み切った。ハミルカル将軍のもと、三十万人の軍隊が集められたと言われているが、この数字は大軍を示しているだけで実数ではないと考えられる。
しかし、シチリア島に向かう途中、悪天候に見舞われ、多数の人員を失った。その後、現在のパレルモにあたるパノルムスに上陸したが、ハミルカルは、ヒメラの戦いでゲロンに大敗してしまった。ハミルカルは、戦闘の最中に戦死したか、名誉の自決を遂げたと伝えられている。
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は、この敗北により大損害を受け弱体化し、国内では貴族政が打倒され共和政に移行した。
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